ギャラリー間瀬は、東京・御茶ノ水で30年続く老舗画廊です。
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佐藤 烓 

【須恵器と私の焼物観】

 日本の焼物の歴史の中で最大の革命は、須恵器である。
 縄文土器・弥生土器・工師器と、約一万年続いた「土器時代」の後、本格的焼き物として登場したのが「須恵器」である。ではそれら土器と須恵器はどう違うのか。第一に、土器は「野焼き」という窯無しで焼くが、須恵器は初めて窯を使って焼いた、という事である。それによって、焼成温度が飛躍的に伸びた。第二に、初めて轆轤(ろくろ)を使った事である。造りが薄く、精緻になった。
 だが、須恵器の本質は別の所にある。須恵器は最も原始的な「穴窯」で「燻べ焼(くすべやき)」という技術をもって焼かれる。窯内が1100℃〜1300℃の高温のもと一気に空気を遮断する。空気の逃げ場を失った窯内で、土中の鉄分が化学変化を起こし、赤褐色の土肌が、須恵器独特の渋い灰黒色に変わるのである。
 私の焼物は、この古代人の知恵による革新児としての須恵器に遡る。もっとも原始的な穴窯と、燻べ焼という技術を用いつつ、再現としての須恵器ではなく、現代に生きる焼物としての須恵器にむかっている。


悠久の時が流れ、我々の母体・地球が生まれる。
赤々と熔けたマグマも、時に支配され、時に委ねられて冷却し、岩石となる。
その過程は、まさに須恵器の焼成に似、酸欠状態(強還元)で行われる。
岩石はやがて地表に出て風化する。
水に流され、永い時の中で堆積し、粘土となる

 私にとって焼物造りとは、この粘土をもと岩石の戻してやる行為だと思っている。粘土にほんの少しだけ人の手を加え、形造ってやる。火の洗礼を受けることによって、粘土はマグマと化す。酸欠状態で冷却された後、生まれる器---それが、私の須恵器造りの本質である。 私は、私の焼物の中に、古代からの脈々と流れる「血」を縦糸とし、今に生きる「呼吸」を横糸とした命を織り成してゆきたい。時代を越え、国を越えた焼き物を造るのが私の使命だと思っている。

【佐藤 烓 陶歴】

1948  高崎生まれ
     高崎高校卒業
1968  北海道大学入学  在学中茶道部に所属し、茶器に魅せられる
1971  焼物の道に進む決心をし、同大学を中退
     京都工芸繊維大学に入学
1974  河井寛次郎の甥で、その流れをくむ河井武一氏に師事
1976  大学卒業後、正式に弟子入り
     京都五条坂 最後の登り窯にてその技術を学ぶ
1979  信楽にて1年間、轆轤(ろくろ)師として修行
1980  独立
1981  大津市山奥に薪による単窯を築窯
     釉物と焼締“信楽焼き”の制作を平行して行う
1984  岩手県遠野市の万世の里に招聘され移住
     半地上式の穴窯を築窯  宇野千代氏より“平常窯”と命名される
1986  韓国を旅行中、慶州で再現されている須恵器に出会い魅了される
     帰国後、半地上式の穴窯による燻し焼を試み、独自の須恵器様焼締を完成させる
1987  伝統工芸新作展入選  以後、1998年,2003年,2007年
1990  群馬県倉渕村に移住し、穴窯を築窯 須恵器に焦点を絞り本格的に制作を始める
2001  日本陶芸展入選
2003  日本伝統工芸展入選
2005  日本陶芸展入選  日本伝統工芸展入選
2006  日本伝統工芸展入選
     個展 丸善 丸の内本店ギャラリー
2007  個展 丸善 丸の内本店ギャラリー

ギンザコマツ、日本橋高島屋、広島そごう、ギャラリー小柳、
世界観ギャラリーなど全国百貨店、画廊にて個展多数
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